フルートファウンデーションインタビュー

「音楽も語学と同様に、自分が出せない音色・発音は聴き分けられていません」と語る 古川さんは、W.ベネットのレッスンやイギリスでの演奏体験から「日本語を母国語としている人」のために新しいアプローチによるセミナーを開いている。

ーー古川さんが留学されたのは、比較的遅い時期でいらっしゃいますね。
古川 はい、ずばり40歳の時です。私はもともとウィリアム・ベネットが好きだったんですが、幸いにも神戸国際フルートコンクールを受けた時(1988年、第2回)に審査員 だった彼に気に入られ、覚えてもらうことができました。その後、偶然にも日本でベネットと共演することになります。私の金沢時代 の恩師、日向恵子先生の主催するフルートアンサンブルがベネットとジョイントすることになり、私も賛助で呼んで頂いてクーラウのトリオを演奏しました。
ーー楽院では、デニス・ブリアコフと同級生ですね。
古川 入学してわりとすぐに、彼から、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を「代わりにやってくれない?簡単だから」と頼まれました(笑)。当時のデニスはもっぱらソロに入れ込んでいて、オー ケストラやアンサンブルは面倒くさがっていましたね。でもオファーはほとんど彼のところに来ます。私はずいぶんなすり付けられましたが、おかげで貴重な経験がたくさんできました。
 じつは、このシェーンベルクのリハーサルの時に、隣のクラリネットの学生とすごく合わせにくいと感じ、これが後になっていろいろ考えるきっかけになりました。

私だけタイミングが違う!

ーーというのは?
古川 タイミングですね。微妙にズレていて、根本的に何かが違う。よく観察してみると、彼は拍を感じる時に、腰を軸にして上半身と下半身が別の方向に動いている。バレエなどと同じでしょう。私はそれほど自覚症状はありませんでした が、日本人特有の身体作法になっていたと思います。
 タイミングはその後も課題で、イギリス室内管弦楽団(ECO)にエキストラで行った時も、どんなに早く吹いても私だけがわずかに遅れている。聴いてわか るようなズレではないのですが、クラリネット首席のアンソニー・ペイがこういうことに敏感で、後ろでもぞもぞしている。仕舞いには「誰だ、こいつを呼んで きたのは」みたいな雰囲気まで出てきてしまった。仕方がないので開き直って、本番は自分がここだと思うタイミングでエイッと吹いたら、終わると今度は「次はいつ来る?」(笑)。
 そのとき感じたのは、彼らは一個一個の音やリズムの微調整にはそれほど頓着しないのに、拍を共有しているので、極端に合わせようとしなくてもブレないということですね。

声を出すより先に息を出す

ーーその時に、何らかの解答がひらめいたのですか。
古川 うすうす感じていたのは、息のスピードでしょうね。その後、以前から時々お世話になっていたジェニー・ミラー女史に本格的に声楽を習うことにしました。レッスンを続けていくうちに、話し言葉も含めて息のスピードが徐々に変わってきたのでしょう。ある日ベネットに突然、「英語が喋れるようになったじゃないか」と言われました。自分では発音が変わったり、単語の種類が増えたりという自覚はなかったんですけれど。
 あと、徹底的に仕込まれたのが、声を出すより先に、その音程を歌うための息を出しておくというテクニック。たとえばコヴェントガーデンの天井桟敷で聴い ていても、ワーグナーのとてつもなく高い音域のアリアを歌うソプラノ歌手が、歌う前からすでに息を出しているのがはっきりわかります。しかも絶対にはずさず、実際に声が出るタイミングに指揮も オケもちゃんと合っている。
 このテクニックはもちろんフルートにも応用できます。

OKが出た音はノイジーだった

ーー古川さんが開講されている「フルートファウンデーションセミナー」は、どのようなコースなのですか?
古川 まずは、ヴォイス・トレーニングです。このセミナーは、その名の通り「ファウンデーション」、つまり基礎・土台なので、あえて具体的な奏法とか音楽のスタイルには触れないようにしています。基本的には、今すでに出来ているこ とを、もう少し楽に出来るようにするのが狙いです。楽に出来ていないということは、自転車のブレーキを握ったまま走っているようなものだと、ミチエ・ベネットさんは形容していますね。
ーー息のスピードを変化させるというトレーニングはどのように?
古川 まず大前提から言うと、西洋の楽器、特に管楽器は、西洋人が吹きやすく使いやすくするために開発され、進化してきたものだということです。西洋の言語は子音が立っているために、喋る時の 息のスピードが速い。忘れられないのが、向こうのセミナーで一緒になったスペイン語を話す女性に、「あなたの音はきれいだけれど聞き取りにくい」と言われたこと。自分ではそれほど音量が小さいと思っていなかったので、ちょっとショックでしたね。
 そこで彼女に協力してもらい、いろいろ実験してOKが出た音は、私には相当にノイジーでした。要するに、息のスピ ードが速い人たちの好む周波数が出ているのでしょうね。逆に、日本語は息を吐かなくても喋れるので、フルートの場合は、倍音を含まない、トレヴァー・ワイ言うところのhollow tone(うつろな音) は日本人が一番得意です。西洋の名人のなかには、歳をとったのでもうホロートーンは出せないと宣言する人もいるくらいですから。
 具体的な方法ですが、できるだけ速い息を「フーッ」と長く、大きなノイズを立てながら出します。これに声を加えていきますが、この時、息のスピードが遅くならないように。初めての方は、ほとんど声を出したとたんに息が出なくなってしまいます。さらに今度は、声だけにして息のノイズは消しますが、ここでも同じ息の速さになるようにします。この3段階のエクササイズです。
 気をつけて頂きたいのですが、ちょっとでも喉がイガイガしたり、人相が変わって顔が真っ赤になったりしたら、それは間違ったやり方なので休んで下さい。

ーー方で、息のスピードは遅くなければという声も多く聞かれますが。
古川 はい、マクサンス・ラリューもマスター・クラスで必ず、生徒のてのひらに自分の息をあてて、どのくらい遅いかを実感させていますね。どちらの意見も、息の適切なスピードのイメージは同じだと思いますが、スピードが速いと注意さ れる場合は、特にフォルテでスピードに対する適切な量の息よりも多くが入りすぎ、そのせいで当たりがきつくなってしまうからでしょう。音もばらけますし。 また、元々息のスピードの速い人たちが遅くするのと、遅いのが基準の言語圏の人たちがさらに遅くするのとは違いますからね。彼らにとっては遅い息とはいっ ても、かなり強くしっかりと圧力のかかった息のはずですから。
ーーコースの次の段階は?
古川 レッツ・プレイ・エクササイズと称していますが、特に拍子感に重点を置きます。これはベネットが常々「アジアの人々にこれだけは分からせてあげたい」と言っている項目です。

拍子感と腰の感覚

 拍子は彼らにとっては、わかりきっていることとは言え、曲頭に太い字で大々的に宣言して掲げるくらい、大事なことなのです。イギリスでは拍子や拍のこと もリズムと言います。リズム感が良いというのは、複雑なリズムができたり、譜割がきちんとしていたりというだけではなく、拍子感と拍の位置がうまく表現で きるということなのです。1拍目は1拍目として、長さや大きさに頼らずに示せるということでしょうか。私のセミナーではいろいろなステップを実際に踏むこ とで、それを体感して頂きます。
 腰の感覚も大事で、腰の横軸のバーが通っていて、上半身と下半身が別々に動くイメージですね。西洋人のお年寄りの方がタップをきれいに踏めるのも、この身体感覚のおかげだと思います。関係な いようですが、向こうのマンガでは走っている人の絵が日本と違って足がグルグル巻きで描かれますよね、これも同じ感覚でしょう。腰の横棒が安定してくると、タンギングにもてきめんに効果が出てきますし、アウフタクトのイメージも全く変わってきます。

倍音を整えることの大切さ

 倍音を整えることも、このコースの重要なポイントです。ここでの倍音とは整数倍、基音の1オクターブ上とその5度上くらいまでの話です。これは基音を吹 いた時に発生するもので、実際には聞こえませんが、基音の音色でそれが合っているかどうかが判断できます。倍音の方が低ければ上ずって聞こえるので、息を しっかりと入れて倍音を上げなければなりません。ところが本人は上ずっていると思っているので、なかなか吹き込めない、ここが難しいところです。まれに、 このくずれた状態がその人の音色の魅力になる場合もありますが、整っていないと、特に他の楽器とのアンサンブルでは具合が悪いことがありますね。
ーー歌うという概念が変わってきそうですね。
古川 西洋の人たちは根本的に歌いたくてしょうがない、そういう人が音楽をやっている。何かあるとすぐ歌い出すし、放っておくと歌詞まで付けてしまう。表 情豊かに話しているのを聞くと、喋っているのか歌っているのか分からないことすらある。歌うということは気持ちの問題だけでなく、実際に歌っているんです。
 師匠ベネットは未だにオーケストラピットに入ってオペラやバレエを吹いている。70を過ぎても、ブランドではなくその腕前にお呼びがかかるわけです。彼の 親友のオーボエ奏者ニール・ブラックも70半ばを過ぎたのに、聴くたびにうまくなっています。彼らのように楽に長く演奏し続けるためにも、できる限りシンプルに楽器を響かせたいですね。
(取材・構成:秋山君彦(フルート奏者)撮影:岡崎正人協力:管楽器専門店ダク)
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